校訓

卬高こうこう

―高きを仰ぐ―

卬高碑の由来

 1930年(昭和5年)5月29日、昭和天皇が本校に行幸され、授業をはじめ、野球(対静商戦)、剣道、柔道、弓道、水泳を天覧された。

この行幸に、一木喜徳郎宮内大臣(本県掛川市出身、父岡田良一郎は報徳社運動の指導者、兄良平は文相など歴任)が同行していた。その時、一木宮内大臣は行幸記念にニ枚の書を揮毫された。一枚が「卬高」であり、他の一枚は「仰高」であった。「卬」は「仰」の人偏を取った漢字であり、音も意味もほぼ同じとみてよい。すなわち、両字ともに音は「ぎょう」または「ごう」(慣用的に「こう」)であり、意味は「のぞむ」「あおぐ」である。

「卬高(仰高)」の出典は、論語の『仰之弥高、鑽之弥堅』(これを仰げばいよいよ高く、これを鑽(き)ればいよいよ堅し)と、詩経の『高山仰止、景行行止』のニつが考えられるが、昭和5年10月13日発行の静岡中学校校友会誌「卬髙」の裏表紙には「思ふに題銘卬高は詩の高山仰止より出づるか。」と断定を避けた記載をされている。それをうけて、その後発行された生徒手帳には「卬高」の出典を詩経としている。

かつての本校(静岡中学校)は全県下から逸材が集まり、彼らの生活の場である寄宿舎もあった。1915年(大正4年)、大正天皇即位の御大典を記念して、寄宿舎は「仰止寮(ぎようしりよう)」と命名された。なぜ「仰止」という言葉が用いられたかは明らかではないが、おそらく、詩経の『髙山仰止、景行行止』に拠ったことと思われる。『髙山仰止』とは、髙い山を仰ぎ慕うこと、『景行行止』とは大道を行くことの意味である。

そう考えると、「卬高(仰高)」も「仰止寮」も出典は同じ「詩経」の同じ語句であり、一木喜徳郎宮内大臣が「卬高」と揮毫してくれたのは、「仰止寮」の「仰止」を意識されてのことであったと考えられる。

 二枚の墨書のうち、「卬高」が選ばれ、12月10日に「卬高碑」が建立された。碑の裏側には「行幸記念昭和五年五月廿九日一木宮内大臣題」とあり、台座には「石工杉本新次」と刻まれている。

山本正撰

(この説明文は、正門を入ってすぐ右のところにあるニ代目「卬高碑」(平成八年)と並んで設置されている「由来碑」の碑文です。玄関にある「卬高碑」が初代(昭和五年)になります。)

実践目標

われわれは勉学を本分とする。
われわれは人に迷惑をかけない。
われわれは自主的に行動する。

静岡高校が目指すもの

  • 勉学に励み、豊かな感性と道徳心を備える。
  • 何事にも主体的に行動する生徒を育成する。
  • 質の高い文武両道を実現する。
  • 自信と誇りと高い志を持ち、将来社会の様々な分野で活躍するリーダーを育成する。

静岡高校の特色

65分授業+土曜授業

65分×5限の授業に加えて、土曜日3限の授業を年間17日行います。平日は15:05授業終了を基本として、部活動や自学の充実を図り、個人の自主的活動の時間も確保します。図書館は、42,000冊を超える蔵書と平日19:00までに加え、休日の開館も行い自学自習の要となっています。

特色ある行事と部活動

3日間にわたる文化祭の花形「仮装」は本校の伝統行事です。公立高校最多の甲子園大会41回出場の野球部を筆頭に、運動部19、文化部18、多くの部が全国レベルの活躍をしています。全天候型運動場の静高ドームは、雨天時の体育の授業や、テニス部、野球部の活動に利用されています。

高きを仰ぐ進路指導

進学重点コアスクール事業をはじめ、各種進学講習や添削指導、難関大を想定した静高模試など、志を育み、夢に向かって日々着実に邁進する環境が整っています。